うつ病の治療のために、月1回通っている精神科のクリニックにはジンクスがある。それは混雑を予感して本を持っていくと空いていて、本を忘れると混んでいるというもの。これまでずっと通用していたこのジンクスが初めて失敗した。
先週の土曜日。混んでいないことを願いながら、図書館で借りた栗本斉『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』と駅前で買った高松美咲『スキップとローファー』、第12巻を持って病院へ行った。
自動扉が開いて入ってみると、入口にこれまで見たこともない数の靴が脱いであった。本と漫画はすぐに読み終えてしまい、猛暑のために外を散歩してくることもできず、結局、1時間以上待った。
私の前に10人以上の患者を診ているS先生が気の毒になって、あまり深い話はしなかった。こういうとき「精神科医は娼婦に似ている」という中井久夫の自虐に満ちた言葉を思い出す。一人一人は自分のためだけに応対してくれていると信じているけど、実際にはたくさんの人を相手にしている。そんな含意がある。向こうも疲れていると思うと、こちらから細かい相談はなかなかしづらい。
薬局で薬をもらい、牛丼を食べた。暑くて外にいられないので、午後はカラオケをした。
朝、iPhoneからランダムに聴き出した音楽が小椋佳だったので、小椋佳特集をした。そこから派生して堀内孝雄と中村雅俊も歌った。隠れた名曲と呼びたい、薬師丸ひろ子「あたりまえの虹」も歌った。
2時間歌い、映画『国宝』を観る約束を妻としていたので、吉祥寺ヲデオンへ向かった。
さくいん:うつ病、S医院、中井久夫、小椋佳、中村雅俊、薬師丸ひろ子
土曜日の午後、妻と観た。いつも、私が観た作品を彼女に見せたくなり誘うことが多い。今回は珍しく二人とも初見。なるべく事前情報を入れずに観た。
噂に違わず、3時間は長く感じなかった。歌舞伎は妻と何度か観たことがある。子どもには自治体主催の日本舞踊入門講座を受けさせた。だから、基本の所作だけでも覚えるのは簡単ではないことは知っている。吉沢亮と横浜流星の二人がどれだけ訓練したかは想像できた。踊りと芝居の場面は確かにすごい迫力だった。
ただ歌舞伎を見せるのではなく、舞台の場面でオーケストラのサウンドトラックが流れたりして、趣向を変えてさまざまな角度から見せていたことも飽きずに観られた要因に思われる。
人間ドラマとしては、単なる愛憎劇ではなく、互いに自分に欠けている血筋と才能をめぐる対立の果てに相手を尊敬する関係に成長したところに面白さを感じた。そういう関係に行き着くことができたのは少年時代から双子のように育ってきたからだろう。
女性関係の扱いについては男性二人の関係より深くは感じなかった。あえてそういう設定にしているのかもしれない。女性を愛することや家族を持つことも、芸の肥やしでしかない。
血筋と才能の愛憎というテーマから漫画『ガラスの仮面』を思い出した。人気女優と映画監督の娘で子役から活躍する姫川亜弓と、演技力以外に何もない貧しい少女、北島マヤ。
二人は敵対しながらも、互いの才能をリスペクトし、共演を経て、大舞台の主役を争う。こちらはまだ完結していない。
吉祥寺のつけ麺「えん寺」で感想を話し合いながら夕飯にした。帰宅して『ブラタモリ』「東京大学」を見た。
さくいん:『ガラスの仮面』(美内すずえ)、『ブラタモリ』
いわゆる「ら抜き」言葉はかなり定着している。テレビの街頭インタビューで受け答えしている人のほとんどが「食べれる」という言葉遣いをしている。
ただ、テレビ局はまだ認めていないのか、必ず字幕で「食べられる」と表示が出る。
「ら抜き」を聞くと何となく不快に感じるし、自分では使わないようにしている。
先日、珍しく「食べられる」と言う人をテレビで見かけた。なぜか、とてもホッとした。
私は十分に年寄りなのかもしれない。
もう一つ、最近テレビで気になった言葉。あるアナウンサーが「庭園感」と言っていた。ここでは「庭園のような感じ」と言ってほしい。「〇〇感」という言い方ももう定着しているものだろうか。
私にはまだ違和感が残る。やはり時代に置いていかれているのかもしれない。
さくいん:言葉
業務上の上司は変わらず人事管理上の上司が変わった。
先週の全体会議で新しい上司は、「新しい組織での、一人ずつとの面談が終わりました」と言った。
彼の目には私は見えていないらしい。障害者の定着支援という言葉も知らないのか。
うつ病の病状は現在どうなのか、介護で休むことが増えると聞いたが実態はどうなのか。マネジメントとして聞き取るべきことはたくさんあるだろうに。
DEIを行動規範に標榜している企業とは思えない。
いまさら面談を求める気もない。キャリアプランがあるわけでもないし、こちらから話すこともない。定年まであと8年、静かにして放置しておいてほしい。
私は透明社員で結構。
さくいん:うつ病
Twitter(現X)に校歌についての投稿があった。
思い出そうとしてみると、小学校と中学校は思い出せた。
小学校:緑の丘に陽を浴びて/みんな仲良く学び合う
中学校:蘭の校章輝くところ/春秋豊かな金沢の
ところが、高校の校歌が思い出せない。検索して同窓会のHPを見てようやく思い出した。高校では歌う機会が少なかった。小中学校では、何か行事があるたびに校歌と同じくらい「横浜市歌」を歌った記憶がある。
大学の校歌は、大学で出会った女性と結婚したので結婚披露宴でも歌うくらい、学生時代から若い頃にはよく歌った。応援歌もよく歌った。
結婚式も大学に近い教会で挙げた。式と披露宴のあいだに抜け出して大学の時計台の前で写真を撮った。夏休みでほかに人影はない。貴重な写真。いまもリビングに飾ってある。
学部は違うものの、大学は父と同じ学校だった。合格したとき父は喜んでくれた。でも、孫にあたる私の娘が父と同じ学部の同じ学科に合格したときはもっとうれしそうだった。
そういえば、実家には父が買った大学の校歌や応援歌を収録したレコードがあった。父の愛校心は並々ならぬものがあった。たぶんレコードはいま息子の家にある。
家族4人とも同じ大学を出て家族で学閥を形成しているものの、家族で校歌を歌ったことはない。
さくいん:横浜
大英博物館へは一度だけ行ったことがある。大学三年生の夏休み。7月の終わりから9月の半ばまで60日以上をかけて西ヨーロッパを横断した。展示物の記憶はあまり残っていない。
世界中の古代文明の宝物を集めた博物館。そのガイドブックを読んでいると、素晴らしいというよりも「よくもこれだけ収奪してきた」と慨嘆したくなる。そしても現在も、発見された国へ返還はされていない。
でも、現地に放置されていたら、保存されていたかどうかはわからない。
王朝が変わるとき、新しい権力は古い政権が威厳を誇示するために築いた記念碑や神殿を破壊することが多いから。先日もテレビでキリスト教を国教としたローマ帝国はエジプトの神像を破壊したと説明していた。最近でもイスラム教徒のタリバンは仏像を破壊している。
明治政府による廃仏毀釈も、新しい政治基盤を築くためには必要な措置だったのかもしれない。文化財だから保存しようという発想はなかっただろう。
戦争のときもそう。第二次対戦中、米国は文化財があろうと無差別爆撃を繰り返した。
文化財の保存はむずかしい。そもそも文化財とは何か。誰がその価値を決めるのか。
例えば、いまも警察の監視下にあるオウム真理教や解散命令を受けた旧統一教会。彼らが文化として尊重してきたものは、将来、文化財として保護されるだろうか。犯罪者集団のものだから文化財というなら、アフリカを丸ごと収奪した列強は皆、犯罪者集団と呼ぶべきではないか。
現代では「世界遺産」と名づけて、宗教や王朝に関係なく、過去の文化を保存する動きが定着しつつある。それは画期的な考え方であり、むしろ常識外れでもある。
大英博物館に展示されている数えきれない掠奪物も「人類の宝を守るためだった」という弁解で正当化できるだろうか。
さくいん:イギリス、アフリカ
9月5日は結婚記念日。今年は33回目。金曜日は休みにした。台風が接近していたけれど、恐れずに二人で銀座まで出た。
結婚指輪を買った店でサイズ変更の相談をしてから、結婚前によく会っていたレストランへ向かった。当時、妻は有楽町、私は虎ノ門で働いていた。そこで、金曜日の夜に銀座で会うことが多かった。
本当は西銀座デパートの上にあったヴォーノ・ヴォーノというレストランに行きたかった。そこでいつも会っていたから。チャンスセンターが見下ろせる窓際によく座った。
10年ほど前、療養中にも行った。でも、その店はもうない。いまは高級ステーキハウスになっている。仕方ないので系列のイタリア料理店でランチをした。
この店も思い出が多い。大きなパルメジャーノの中に熱いパスタを投げ入れ、そのまま絡ませるのが名物料理。この日も頼んだ。リゾットもおいしかった。デザートを前に写真を撮ってもらった。
食事のあいだ、二人の子どもが健康で立派に育ったことを喜んだ。これから二人暮らしを楽しもうという話もした。
通っていたレストランもなくなり、披露宴をした結婚式場もなくなった。でも、新婚旅行で行った志摩観光ホテルはいまも健在。35周年の目標にした。それまで体力と財力を維持しなければ。
食事のあとは、百貨店をハシゴして、妻の通勤用のカバンを下見してまわった。
帰る頃には雨は止んでいた。台風を恐れずに出かけてよかった。
さくいん:銀座、HOME(家族)
結婚記念日を休みにしたので、先週末は3連休になった。土曜日は一日家にいた。『庭』の推敲をしたり、写真ファイルの整理をしたりして過ごした。昼寝もした。
日曜日は一人で日本橋まで出かけた。昼前に着いたので日本橋高島屋にあるBROZERS'でランチにした。前回同様、コールスローとチーズバーガー。独自のBBQソースがおいしい。
次はこの日の目的、日本伝統工芸展。去年も来た。朝、『日曜美術館』で予習をしたので、各賞受賞作品をじっくり鑑賞することができた。
いろいろなジャンルの作品が並んでいるなか、自然と足が向くのは陶芸、漆芸、金工。なかでも陶芸の青磁はつい見入ってしまう。
写真は左上から硝子重箱「織花」(和泉香織)、片身替古裂文様仕覆形手箱(須藤拓)、乾漆六弁輪花盛器(伴野崇)、青磁線文鉢(堂前忠正)。
最近、美術展を見て思うことがある。それは「表現者はどこまでこだわっていい」ということ。「これはやりすぎか」ということはない。こだわりたいところにはとことんこだわり、極めたいことを極める。それでいいし、それこそが表現者のあるべき姿。
私は芸術家ではないけど、文章で自分なりの表現を極めていきたい。たくさんの超絶技巧作品を観察して、あらためてそう思った。
さくいん:NHK(テレビ)
トラブル発生
久しぶりにデータの入力ミスがあり、各方面からお叱りを受けている。
月曜日は何とか一人で解決しようとして珍しく遅くまで残業をした。結局、自分一人では解決できず、なかなか助けてくれない意地の悪いシステム管理者に泣きついた。
問題は火曜日の早朝、システム管理者が対処してくれて解決した。
ミスをしたときに嫌なのは仕事が滞ることよりも、辛辣な言葉のメールを受け取ること。いまばメールだけで済んでいるけど、営業職をしていたときは直接、罵声を浴びることもしばしばあった。いまならカスハラ扱いだろうか。
今回も、昨年の辛い出来事を思い出して苦しくなった。
思い出せば、かつては毎晩こんな感じだった。緊張が解けず、眠りは浅かった。
月曜日は食事ものどを通らず、9時過ぎに寝た。心配事があるのにぐっすり眠れた。
結局、私はメンタルが弱い。だからストレスフルな営業職も続けられなかった。いまも契約社員の仕事すら全うできていない。それでも、このまま細々と何とかやり切るしかない。
さくいん:労働
このサイトでは、借りているBIGLOBEの容量が小さいので、画像ファイルははてなフォトライフにリンクして表示させている。
一方、ミラーリングさせているレンタルサーバーは容量が十分ある。そこで画像ファイルをはてなではなく、レンタルサーバー下の画像フォルダから直接表示させることにした。
こうしておけば、将来はてながサービスを止めても、ミラーサイトでは画像がきちんと表示される。最終的には現在ミラーリングサイトになっている方が本アカウントになるだろう。BIGLOBEはISPで利用しているけれど、ほかに価格とサービスがいいところが見つかったら変更するかもしれないので。
20年以上にわたる活動のあいだに貼り付けてきた自分で撮影した写真、本の書影、CDやDVDのジャケットなど、画像ファイルの数は膨大。すべてのリンクを書き換えるのは容易なことではない。作業はこの先、数ヶ月かかるかもしれない。
それもいい。ルートを書き換える作業は面倒ではあるものの、暇つぶしにちょうどいい。何もする気が起きないときでも手を動かすと、何かした気になる。気分が落ち込んでいるときにも、こういう単純作業が心を落ち着かせる効果がある。
最近は暇さえあればこの作業に没頭している。
『庭』の推敲とファイルの整理は老後の楽しみにもなるかもしれない。
前に書いたことをもう一度書いておく。
自作ウェブサイトは時代遅れか。
流行を追いかけて発信のプラットフォームを次々に変えることに私は抵抗がある。
理由は、書いたものが散逸してしまうから。
書く場所は一つ。だから自分の思索の足跡を見返すことができるし、索引を作って自分の思考世界を俯瞰することもできる。
これが私のただ一つの「作品」と言えるもの。だから、私は自作にこだわる。<
最新巻を買って病院で待たされているあいだに読んだ。今回、聡介が抱える心の闇がすこしずつ明らかになってきた。
この物語は心に傷を負った聡介が真面目で一途な美津未と過ごす時間を通して自分を取り戻していく過程といまさらながらに気づいた。少しずつ芝居の面白さを思い出していくので、読みながら励ましたくなった。
11巻は修学旅行の話で自分の高校時代を思い出していじけた気持ちになってしまった。
本巻のテーマは高校二年生の文化祭。これまた何一ついい思い出がない。なるべくそれを思い出さないように、登場人物の文化祭だけを楽しむようにした。胸がキュンとなる場面がいくつもあった。
ありがたいのは、娘と息子も楽しい高校生活だったこと。いまでも折に触れて合う親しい友人がたくさんいる様子。うらやましよりも、親としてとてもうれしい。
文化祭でいい思い出は高校二年生の秋に行った駒場祭。英語学校で親しくなった二年上の浪人生の女の子を誘って行った。ピアノが上手な私には不釣り合いのお嬢様だった。その後、彼女には告白して惨敗したけれど、彼女と過ごした時間はいまでもいい思い出になっている。
さくいん:高松美咲、闇
宇宙に関する本を探していて図書館の返却棚で見つけた。"The Ultimate Visual Guide to the Discoveries That Changed the World"という長い副題がついている。
一番最初は科学以前の石器時代の道具製作について。最終章は宇宙論。参考資料として各種単位や元素周期表など。
宇宙に関する私の知識は、小学五年生のときに姉と見たテレビ番組『コスモス』から更新されていなかった。これまで宇宙に関する本をいろいろ読んできたけど、理解できたとは言い難い。新書と図鑑のおかげでようやく最新知識を入手することができた。
本書は、宇宙の歴史について先月読んだ本を図解で説明してくれてわかりやすい。
ヨクト(1の-24乗)という単位を初めて知った。しかも、図解にあるのは「1ヨクト秒の10億分の100秒」という気が遠くなるくらい短い時間。なぜ、138億年前の、こんなに短い時間の出来事がわかるのか、まったく想像できない。
本書が出版されてからもう10年以上経つ。そのあいだに間違いなく宇宙についての知見はさらに深まっているだろう。もっと知りたい。
さくいん:『コスモス』(カール・セーガン)