10/25/2015/SUN
父と暮らせば、井上ひさし作、すまけい、斉藤とも子出演、新潮文庫、2001
最近、斉藤とも子が出演した70年代のテレビドラマ『男たちの旅路』の主題歌を購入した。
「あの頃」、斉藤とも子は歌も歌っていて、アルバムも出していた。図書館にはない。実家にはまだあるはず。「青春+α」という曲名を覚えている。
もう一度聴くには、レコードをmp3に変換できるプレーヤーが要る。
アルバムは蔵書してはいなかったものの、視聴覚資料に朗読のCDを見つけた。聴いてみると、朗読というよりはオーディオ・ドラマ。
こまつ座の舞台は、新宿の紀伊国屋ホールで『花よりタンゴ』を見た覚えがある。20年以上前のこと。斉藤とも子の舞台も、こまつ座の演目をテレビで見た記憶がある。この20年のあいだは、学芸会や学園祭以外では芝居を見ていない。
『父と暮らせば』は、題名も筋書きも、どこかで聞いて知っていた。主人公、美津江が抱えている苦しみは、『夕凪の街』で、皆実が抱えていた苦しみとおなじ。「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」。失った者への悲しみ、殺した者への憎しみ、そして彼らを救うこともできずに、むしろ、彼らを見捨てて生き残った自分への嫌悪感。
森有正の言葉を借りれば、「苦悩」(angoisse)の一語に託されるような、複雑ではあっても、硬い塊になった激烈な負の感情。
美津江の気持ちを、父、竹造は「生き残ってしもうて」「うしろめとうて申し訳なあ(ない)病」と喝破している。
『父と暮らせば』は父親の言葉を通して「生き残った者には伝え継いでいく〈使命〉」があることを強調する。物語は美津江が〈使命〉を受け止め、新しく生きていく「新生」の決心をするところで終わる。
物語はそこで終わっても、美津江の苦しみはそこでは終わらない。「伝え継いでいく〈使命〉」は「生き残った⋯苛立ち」と同じくらい重い。苦しみを伝えることは、やさしいことではない。
『夕凪の街』の場合、皆実は、かわいそうに、苦しみを癒やす糸口を見つけたところで息絶えてしまう。皆実が心の奥深くに隠していた「苛立ち」は打越の心の奥に「グレイの染み」(松任谷由実「消息」)のように残る。
『夕凪の街』に続く『桜の国』は、受け継いで今を生きようとしている人たちを描く。辛くて、難しいことではあっても、そして、皆実はもう『桜の国』にはいないけれども、彼女を覚えている人がいて、その心を伝える人がいて、受け継ぐ人もいる。
二つの作品は、「思いを伝え継いでいく」生き方に、それぞれ違う角度から光をあてている。
ところで、最後の場面で竹造が「孫を出してくれ」と言ったことと途中で美津江が語る「欲深な爺さんが赤ん坊にまで若返る昔話」の間に、何か、つながりはあるのだろうか。これから生まれてくる孫は竹造の生まれ変わりであることを暗示しているのか。深読みが過ぎるのか。
「生まれ変わり」という考え方は怖い。竹造のように後で「恨んでなんかおらん。その話は解決済みじゃ」と言ってくれるならいい。
もし、生まれ変わって目の前に現れた人に「なぜあのとき私を見捨てたのか」と迫られたら、いったいどう応えればいいのだろう。
あえて問いたいことがある。もし苦悩と恋の順序が逆だったら、苦悩を抱える人はどうなるか。恋人との関係はどうなるだろうか。
『父と暮らせば』の舞台は、昭和23年の広島。「ピカ」から3年の時間が経っている。美津江や皆実は、繊細で敏感な人なのだろう。多くの人は、今日一日を生き延びることで精一杯で、「生き残った」意味について考える余裕はないのではないか。「ピカ」のあと間もなく、戦争は終わったけれど、生活は戦後になって、より貧しくなった。
戦争や収容所体験、大災害や性犯罪の被害、そうした身も心も打ち砕くような出来事に接した時、すべての人が美津江や皆実のように、生き残った罪責感をすぐさま感じるわけではない。むしろ、ある程度の年月を経てから初めて、押さえ込んでいた過去の気持ちを感じ取ることができるようになる、あるいは、言葉にならない感情がじわじわと形をとるようになっていく。そういうほうが普通ではないか。
これは善悪の問題ではないし優劣の問題でもない。「当人の生理的・心理的育成史的、社会環境的な無数の要因」と、それを受け止める感受性の質の違いに過ぎない。
その感情を事態が起きてすぐ持つ人もいれば、長い時間を経てから気づく人も、気づかないまま、生き続ける人もいるだろう。
この点を一般化すると、一人一人が其々にもっている死生観を壊してしまいかねない。
皆実は、まず「生き残った苦しみ」を感じた。それから、恋人の助けを借りて、悲嘆を乗り越えることができた。
美津江の場合は、大切な人を失った悲しみとその人を見捨てた自責の念を、「ピカ」が落ちてからすぐに感じた。それから父親の励ましを得て愛を受け入れる喜びに昇華させ、「伝え継ぐ使命」を胸に刻んだ。
打越は、「苛立ち」を打ち明けた皆実を、「生きとってくれてありがとうな」と言って受け入れた。木下は美津江が抱える心の重さを承知のうえで彼女が心を開くことを待っている。もとより、木下は「ピカ」の事実を後世に伝えることを仕事にしようとしていた。
そういう人は稀ではないだろうか。私の知るかぎりの実例では、受け止めきれない非常事態が起きたとき、人は苦しみも悲しみも感じないように心を閉ざす。心を開くと感情が溢れて自分が壊れてしまいそうだから、感じないことで自分をなんとか支える。
詩人の石原吉郎はシベリア抑留体験とその後、詩を書きはじめるまでに費やした数年の時間を「失語状態」と表現した。言葉では言い表すことができない。それほどまで大きな悲しみと苦しみだった。
暗くて重い感情は押し殺しているので、自分ではふつうの人間のつもりでいる。周囲も特別な存在とみない。そうして、人並みに育ち、人並みに学び、人並みに友を得て、恋をする。
人並みの幸福を得たとき、皮肉なことに、それゆえに得られた心の余裕から封じ込めていた感情が少しずつ浸み出し、やがて火山のように一気に噴出する。
お前は生きていてはいけなかった人間なのだ
人を好きになってもいけなかったのだ
まして誰かをお前の人生に巻き込むなど⋯⋯
事態の変化が『父と暮らせば』と真逆であるように、この生涯は悲喜劇の彩りも真逆になる。悲劇から喜劇が生まれるのではなく、喜劇から悲劇が生まれる。何気ない日常が、突然、記憶と感情が混乱するカオスになるのだから。
恋人にとっても悲劇であるにちがいない。今まで、過去について語ったことも、まして苦悶するような記憶があったことなど知る由もない。目の前にいる、昨日まで「ふつう」だった人が、突然、過去の記憶に押しつぶされそうになって煩悶している。あまつさえ、自分に向けて「この苦悩は、お前には理解できやしない」と強烈な否定を突きつける。
この悲劇が、どういう形で幕を下ろすのか、私にはわからない。
どういう幕切れになるにしても、“Happily Ever After”になることはけっしてない、そんな危惧を抱いている。
最後に、本題とは違う話題。
劇中、父親は「おとったん」と呼ばれる。広島弁ではそういうらしい。「おとったん」「おとうたん」「とうたん」。さ行の発音がまだ苦手な幼児の呼び方のようでもあるし、それだけ、愛らしい呼び方にも聴こえる。
上の段落まで書いたところで、いったん筆を置いた。事実に即して鍵盤を叩くことを止めた、と言うべきか。
しばらく躊躇していた問いかけをもう一つ、しておきたい。
「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」は、次の世代に「伝え継ぐ」ことに昇華されたことで、万事解決されたと言えるのだろうか。
空襲や強制収容所、大災害のように、甚大な被害が多くの人のうえに降りかかるとき、親しい人を助けられないまま、自分もどうにかして生き残ることで精一杯の場合。被害者でありながら、同時に加害者となっていしまう事態が生じる。
「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」と私が意図的に冗長にしている言葉は、専門家のあいだでは「複雑性心的外傷」とも呼ばれている。
このような心の傷は、「伝え継ぐ」ことだけで癒されるのだろうか。もう少し、柔和に問いかける。「伝え継ぐ」ことは、どのような方法や態度によってなされるのだろうか。美津江は、生まれ来る竹造の孫に、何をどう伝えるのだろう。
終戦後、シベリアに抑留された詩人の石原吉郎の言葉。「ペシミストの勇気について」(1970)
おそらく加害と被害が対置される場では、被害者は〈集団としての存在〉でしかない。被害においてついに自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝動。被害の名における加害的発想。集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。しかし加害の側へ押しやられる者は、加害において単独となる危機にたえまなくさらされているのである。
そしてついに一人の加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行くその〈うしろ姿〉である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。ただひとつの、たどりついた勇気の証しである。
そしてこの勇気が、不特定多数の何を救うか。私は、何も救わないと考える。彼の勇気が救うのは、ただ彼一人の、〈位置〉の明確さであり、この明確さだけが一切の自己への保証であり、およそペシミズムの一切の内容なのである。単独者が、単独者としての自己の位置を救う以上の祝福を、私は考えることができない。
石原吉郎は、シベリア抑留体験とその後、詩を書きはじめるまでに要した時間を「失語状態」とあとから述懐している。言葉で言い表すことができない。それほど大きな悲しみと苦しみだった。
抑留された人々の状態を石原は「加害と被害の同在」と言う。抑留者は、ソ連軍兵士に銃を突きつけられる被害者でありながら、同時に、自分が生き残ろうとするために、仲間よりすこしでも多く食事を分捕ろうとする加害者でもある。
さくいん:井上ひさし、斉藤とも子、森有正、こうの史代、松任谷由実、死生観、石原吉郎