安克昌のことはNHKドラマで初めて知った。それから『心の傷を癒すということ』を購入して読んだ。今回、Eテレの番組『100分de名著』で取り上げられると知り、テキストを購入して全4回を視聴した。指南役の宮地尚子の本も何冊か読んでいたので、番組の内容にも期待していた。
番組は安克昌が観察した阪神神戸大震災の被害を中心に進んだ。私は観察された被災者の心理から自死遺族の心理を自らに焦点を当てて考えていた。
第1回の放送で、宮地はトラウマの原因として次の3点を挙げている。
1. 激しい恐怖
2. 強烈な無力感
3. グロテスクな光景の目撃
この3点は災害時だけではなく、親しい人の自死でも起こりうると思う。つまり、12歳で姉を自死で失くした事実はやはりトラウマではないだろうか。
一方で、テキストの第2回の章で、宮地は死別体験とトラウマ体験は異なると述べている。
死別の悲嘆と喪失感は、トラウマとは別に考えたほうがよいと思います。トラウマとなる体験は、なるべく避けて通りたい出来事ですが、喪失体験は、むしろそこに引きつけられ、そのことばかりを考えてしまうからです。
自死による死別体験はトラウマなのか、そうでないのか。専門家ではないので私に判断はできない。主観的にはトラウマ的要素もあるように思える。
自分も同じ道を進んでしまうかもしれないという恐怖感、救えなかったという自責の念、折に触れて思い出してしまう亡くなった日の光景。自死遺族はトラウマの3要素を抱える。
PTSDの症状として挙げられている四つの症状、「過覚醒」「再体験」「回避」「否定的認知・気分」も自死遺族にあてはまる。自死遺族は故人に引きつけられながらも、故人を否定する気持ちも持ち合わせている。ここに自死遺族の心理の複雑さがある。
『心の傷を癒すということ』(新増補版)では、震災で子どもを失った親たちが集う分かち合いの会について書いた章で「死別のトラウマ」という表現がある。災害や事故事件、自死などの死別体験はPTSDに似た複雑な悲嘆を残すということなのかもしれない。少なくとも、安はそのように考えていたように見える。
第2回の放送で印象に残ったのは「人生を襲った災害の苦しみを癒すために、精神医学的なテクニックでできるっことは本当にささやかなものでしかない」という言葉。宮地は、この言葉を解釈して「心のケアはみんなのもの、社会全体で担うもの」と解説していた。
まったくその通り、と思う。何も言わずに寄り添ってくれるのはとてもありがたい。そしてできれば、ようやく苦しみや悲しみを言葉にできるとき、それを聴いてほしい。無視されること、放置されることが一番辛い。
さくいん:NHK(テレビ)、安克昌、宮地尚子、自死・自死遺族、悲しみ