『身近な人を自死で失うということ』を読んだあとに、ふとしたきっかけで著者、筧智子さんが主宰する「グリーフサポートたま」が島薗進先生を講師としてグリーフケアについての講演会を企画していることを知った。場所も近いので、さっそく応募した。講演会は日曜日にあった。
島薗先生の話は、ラジオやテレビで聴いたことがある。直接、話を聴くのは初めて。自死遺族についての考えを聴くのも初めてだった。
講演会は日曜日。場所は日野市の会議施設。豊田駅で下車するのも初めてのことだった。
受付で筧さんにあいさつをしたところ、島薗先生に紹介をしていただいた。お会いしたら話そうと思っていることがいろいろあったけれど、緊張して、「烏兎の名前でブログを書いている者です」ということ以上は言えなかった。筧さんからは島薗先生に拙著を紹介されたと聞いていたので、読んでいただいたことにお礼を言ったうえで感想も聞きたかったけど、そこまではできなかった。思い切って尋ねればよかった。ちょっと後悔。
参加者は50名くらいいただろうか。自死遺族の当事者、支援をする人、この問題に興味がある人。そうした人たちのようだった。
島薗先生の講演は、自死遺族が抱く複雑な心境を解説するもので、紹介された若林一美『自死遺族として生きる』をはじめ何冊も本を読んできた私には格別新しい話ではなかった。自死遺族という存在をよく知らない人には有益な知識になっただろう。
もう一人、自死遺族の方が登壇された。死別体験後、苦しい時期を経て、大学と大学院で勉強して、現在は分かち合いの会のファシリテーターをしているという。
当事者なのに、同じ境遇で困っているほかの人を支援している人は偉い。強い。とても真似できない。そもそも私は、ほかの人の話を傾聴することさえできない。
40年以上経っても、文章では書いても、話をしてうまく気持ちを伝えることはできない。ほかの人の話を聴くと、いろいろ思い出して辛い。まだ、うつ病も寛解していないから、生々しい話を聴く余裕がまだない。いまは自分のことで精一杯。
この方の話で気になったことが一つあった。死別体験の前後では違う人生を生きている、という。それは、大人になってから死別体験をしたからそう思えるのであって、幼少期や私のように思春期に入る前に大切な人を亡くすと、そう考えることはできない。
幼少期に大切な人を亡くすと、それが自死であれ、事故や病死であれ、人生が最初から「何かが欠けた」ものになる。これはドナ・シャーマン『親と死別した子どもたちへ』でも指摘されていた。幼少期の死別体験には大人とは違うケアが必要になる。
最後に希望者だけで車座になって分かち合いの会のような時間があった。そういう会には参加したことがないので、いい機会と思い私も残った。何人か、当事者の方が話をされた。やはり、ほかの人の話を聴くのはなかなか辛かった。
分かち合いの会を主催されている方が「ファシリテーター」をすることが慰めや励ましになると話していた。私には想像もできないことだった。
発言を促されたので、死別体験は40年以上前だったこと、「自死は心の交通事故」と自分に言い聞かせていること、20年間書いてきたブログをまとめて電子書籍を制作したことなどを話した。書名も紹介したものの、気に留めた人はいないようだった。
帰りの電車に揺られながら考えた。分かち合いの会に出ることはもうない。そうした会に参加しなければ、この先、理解し合える人を見つけることはできないかもしれない。
どんな形であれ、集団や組織というものに馴染めない性格だから仕方がない。
一人で読み、一人で書く。私のグリーフケアは「ソロ活」として続いていくだろう。
さくいん:島薗進、筧智子、自死遺族、グリーフ(悲嘆)、うつ病、ひとり