写真はすべてスマホで撮影している。デジカメは持っていない。ちょうど図書館で撮影するときのコツを紹介する本を見つけたので読んでみた。
本書で得たコツ。いままで使ってなかった補正機能は標準メニューでも十分「映え」を向上できる。これからは積極的に使う。
- 料理の写真は全体ではなく、一部分や中心に焦点をあてる
- ホワイトバランスと露出を微調整
- 部屋全体を写すときは広角で撮影してからパースのゆがみを調整
- 人物の顔は2倍以上の倍率で広角のゆがみを回避
- 邪魔なものを消すクリーンアップ機能も有効
- 構図は対角線を意識する
デジカメの購入も検討していたけど、とりあえずはスマホ撮影の質向上に努める。
このシリーズでは前に『風景画をめぐる旅』を借りて眺めた。図書館で見つけたので借りてきた。
海野弘の本はどれも情報量が多い。本シリーズでも、366枚の作品を丁寧な紹介している。たっぷり時間が余っているときには持ってこいの一冊。忙しいときには楽しめないだろう。
気に入ったのは、独特な薄暗さを表現したハマスホイの一連の作品、明るい色調のゴッホ「レストランの室内」、10月の書斎と11月の寝室のコレクション。
王侯貴族の豪華な部屋もあれば、一人で過ごす素朴な部屋もある。西洋人の暮らしぶりがさまざまな角度からわかるのも本書の面白いところ。絵画史の点から見ても、モチーフが少しずつ庶民化し、最後に個人の内面へと行き着く過程がわかる。
自室を居心地のいい書斎と寝室にしたい。いまも木の洋服タンスとチェストがあり、パソコンデスクも木目調なので味気ない部屋ではない。もっとお気に入りの小物を並べたい。
本書で取り上げられた書斎には絵画がたくさん飾られた部屋が多い。これを真似したい。
複製画でもいいから額縁に入れた絵も飾りたい。長谷川潔とか難波田龍起とか。
加湿空気清浄機とエアコンが白くて無粋なデザインで面白くない。まさに白物家電。
図書館の本は2週間借りられるので、空いた時間にパラパラめくり存分に楽しんだ。見たくなったらまた借りる。図書館は私の書斎の延長線上にある。
さくいん:海野弘、ハンマースホイ、ゴッホ、長谷川潔、難波田龍起
図書館の返却棚で偶然見つけた。風景(landscape)に対して近代化に寄与した建築物が残る風景を産業景観を"technoscape"というらしい。初めて知った。
対象の幅は広い。橋、鉱山、醸造所、発電所、水道施設、運河、工場。軍事施設もある。産業革命以降に建設された施設が文化財としてイギリスの田園風景に溶け込んでいる。建築物だけでなく、それらが建っている田園風景が残されていることにも驚く。
一番最初に紹介されているのがスコットランドのフォース橋。ここは1989年の夏に一人でイギリスとスコットランドをまわったときに見た。とてもなつかしい。
日本には震災や空襲があったせいで、保存されている産業遺構の数はイギリスには及ばないだろう。耐震強度を高めるために修繕でなく解体されて再開発の対象にされてしまうケースも最近よく耳にする。
身近なところでも、太宰治の写真でよく知られた三鷹駅付近の跨線橋が、老朽化を理由に撤去される。非常に残念。
最近の日本の状況を見ていると、法隆寺を世界最古の木造建築としてもてはやす一方、近代建築はあっさり切り捨ててしまう傾向があるように思う。歴史に対する畏敬の念が薄まっているとしたら危険な兆候。
さくいん:イギリス、太宰治
先週の土曜日。ひどく調子が悪かった先月の診察から3週間ぶりの診察。だいぶ落ち着いてきたとS先生に伝えた。加えてマイナスからゼロに戻した感じはあるけれど、気分はプラスに転じていないとも言った。
近頃は覇気がない。やる気がない。図書館へ行き、気になった本をまとめて借りてはくるものの、実際に読み終えるのは一、二冊。開かないまま返却する本も少なくない。以前は、熱心にしていた英語やフランス語の勉強もしていないし、ギターも弾いていない。
空いている時間はただぼんやりしていることが多い。ベッドに転がり、天井を見ている。
そう伝えるとS先生は、「崩れなかっただけでも上出来。焦って活動的になる方がリスクがある」。そういえば中井久夫も下山するとき(回復期)に焦らないことが大切と書いていた。
焦らず、のんびりしたいときは大いにのんびりする。
病院のあとは日本橋に移動。ランチはWagyu Burger。この店は初めて。都心だけどビジネス街だからか、価格が良心的。セットでオニオンリングが選べるのもうれしい。
4種のチーズをはさんだクアトロチーズバーガーを食べた。チーズの粘り気のせいか、最後まで崩れずに食べられた。味も申し分ない。また来たい。
この時期は神田古本まつりが開催される。今年はタイミングが合わず、行けなかった。
さくいん:S先生、中井久夫
月曜日。実家から帰る途中、銀座を歩いた。銀座では目的が三つあった。
修理に出した万年筆を受け取ること。教文館でキリスト教のなぞり絵やぬり絵の本を探すこと。そして最後が紳士服店でパーソナルカラー診断を受けること。三つ目は銀座松屋にあるいつもの服屋で受けた。
白い前掛けをかけて、その上に次から次へいろいろな色の布地をあてる。診断士は顔の色つやや髪の色との相性を見ているらしい。結論として、私はブルーベースの夏系だった。
手持ちの服の色を店内にある服を指さして伝え、コーディネートのアドバイスをもらった。
私は濃い色を選びがちで、いまのコーディネートではきちんとして見える反面、堅苦しくも見えるかもしれないとのこと。もっと明るい色を差し色にするとよいと言われた。
店内をまわり私に似合う色の服を選んでもらった。診断士が選んだのは緑と青のあいだのような色のシャツ。これなら手持ちの紺や赤、ワインレッドのセーターや紺ブレにも合うという。自分一人では絶対に選ばない色。せっかくおすすめしてくれたので買うことにした。
ちょうど一枚、襟がすり切れて部屋着にするしかないと思っていたところ。この冬、外出をするときはこれを着る。
ほかには明るい黄色や白地に細い色の線が入ったシャツもすすめられた。食べ物をこぼして汚してしまいそうという不安もあり、どちらも自分で選ぶことはない。来年の夏は、黄色いポロシャツを買ってみようか。
何にしろ、ほかの人に服を選んでもらうのは自分の固定観念を壊してくれて新鮮だった。
数年前はよくしていたのに、最近、平日に散歩に出ることはほとんどない。近くに大きな公園が二つあるのにそこまで行くことさえしていない。
夏は夕方まで暑いし、秋になって夕方出かけようとすると日没が早く暗くなる時間が早い。
外を歩かないかわりに、運動は室内でだいぶ補っている。それと、週末には必ず外を歩くようにしている。
10年前。完全無職だったころは日中、よく歩いていた。遠いところにある公園や図書館を目指して1日に3時間近く歩いたときもあった。
完全無職で休養していたあいだには昼寝もよくしていた。たくさん歩いて、疲れたら眠る。それだけの生活だった。
いまは、昼休みにウトウトすることはあっても、あの頃のように何時間も昼寝することはない。夜もよく眠れているし、体調は悪くない。体調は悪くないのに、気持ちは低調。
本も読んでいない。今日は読まないまま借りた本を図書館に返した。いつもなら予約本を受け取ったり、読みたい本を探して書棚のあいだを歩くのに、今日は何も借りずに帰ってきてしまった。
秋は活動的に過ごしたいと書いたけど、このまま冬を迎えることになりそう。
ところで、今週は火曜日から、3日連続で快眠度100%を記録した。これは珍しい。よほど連休のイベントで疲れていたのだろう。
最近、テレビ番組でも悲しみを抱える人を支援する人として紹介されていた。興味をもったので著書を読んでみることにした。
こうした生きる姿勢をPTGと言うのだろう。悲しみを抱えながら、なお学び、強く生きて、自分から世界へ向けて発信したり、活動したりしている。
すごい。素直にそう思った。どうすればこんなに強く生きられるのだろう。
つい最近、自死遺族の分かち合いやつながりを築くために積極的に発信し、活動している若い人たちを知った。素晴らしい活動とは思いながらも、やはり自分にはできないだろうと思った。
悲しみは愛しみ。悲しみとともに生きる。悲しみ抜いた果てに新しい世界がある。
そういう考え方には共感する。でも、彼女や活発に発信している若い人たちのような生き方は、私には真似できない。
本書のなかでは、著者よりも著者の娘の気持ちや行動に共感した。初対面の人に「兄弟はいるの」と訊かれて戸惑う気持ち。故人の記憶が薄く、遠い存在である一方で、人生の最初から何かを失っている気がすること。そういうところで「私も同じだった」と思った。
同じように「悲しみとともに生きる」と言っても、具体的な生き方は人それぞれに違う。私のように悲しみをかみしめることにこだわり続けて、言ってみれば少し厭世的な姿勢で、細々と発信する生き方があってもいいだろう。
もちろん、何も発信しなくても、自分の悲しみと静かに向き合うだけの生き方があってもいい。悲しみが人それぞれであるように、悲しみとの向き合い方も人それぞれでいいはず。
自助会に行くつもりはないし、ましてや勉強して支援者の側になどなれそうな気がしない。これからもこれまでと変わらずに、自分自身に向けて書くつもりで細々と発信し続けるだけ。
さくいん:悲嘆、自死・自死遺族
土曜日。くもり空だったけど雨は降らない予報だったので出かけることにした。神代植物公園のばらは今が見頃。森林浴とばら浴がたっぷりできた。
先日受けたパーソナルカラー診断で黄色が似合うと言われたので、黄色いばらを選んで撮影した。最近読んだ撮影の指南本に書いてあったこと、とりわけ対角線を意識した構図を実践してみたけど、うまく撮れているかどうかはわからない。
名前は左上から、ゴールドクローネ、ピース、サン・フレーア、伊豆の踊り子。この日は、ばら園を見渡す動画も撮影した。
ずっとくもりで肌寒いくらいだったのに、帰宅する頃になって明るくなって気温も上昇してきた。最後はコートを脱いで手に持ち、駅からもバスには乗らずに歩いて帰宅した。
さくいん:神代植物公園
第7戦が行われているあいだ、日比谷のレストランで母の卒寿を祝っていた。息子と隣りに座っていた姪が途中経過をチェックしていて進展があるたびに皆に知らせてくれた。
リアルタイムではハラハラしすぎて見られなかっただろう。結果を知り帰宅してから試合を見直した。ほんとうに壮絶で劇的な試合だった。
このような重圧のかかる試合で、全力を発揮できる精神力に驚きを抑えられない。試合を見ながら、「ここでミスをしたら"期待はずれ"と叩かれるのではないか」と私は余計な心配をしてしまう。ましてや自分がそんなプレッシャーのかかる状況に立つことは想像できないし、したくもない。できもしないだろう。
山本由伸投手は、「十分に練習してきた自信がある」とインタビューで答えていた。重圧に勝てるのは、練習を重ねてきたという自信があるからだった。
この言葉を聞いて、「スポーツに運や偶然はない」という宿澤広朗の言葉と、鷲田清一『「待つ」ということ』の感想に書き込んだ「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を思い出した。
「練習を重ねた自分を信じる」。簡単に言える言葉ではない。文章修行をしているつもりの私は、まだそのような境地に立つことはできていない。
さくいん:野球、宿澤広朗、鷲田清一
万年筆を使うと必ず指や手のひらがインクで汚れる。インクが漏れているかもしれないと思い、修理に出すことにした。
応対してくれた店員によると、万年筆は、毎日使う、3ヶ月に一度内部を水で洗浄、2年に一度オーバーホウル、この三点が大切と言われた。ほとんど機械時計のような繊細な扱いが必要らしい。
ズボラな私には万年筆は使いこなせないだろう。30年以上前に買ったものなので、十分に役割は果たした。使わずにそっとしまっておくことにする。
同じブランドでボールペンとそれよりも滑らかな書き心地のローラーボールも持っている。こちらは手入れにそれほど慎重にならなくていい。
毎日の手書きはこの2本を使う。万年筆は「ぼく宝」(©️みうらじゅん)として保管する。いつか子孫の誰かが使ってくれるかもしれない。
さくいん:みうらじゅん
怖い話が多いので、あまり積極的には見ない番組。今回は怖いことはなさそうだったので録画しておいて火曜日の夜に見た。
番組を見て初めて知ったことがいくつかあった。戦後、GHQ向けに売春宿が公設されたが半年で閉鎖されたこと。「和光」という名前は、「日本からの光」という意味を込めて戦後につけられたこと。
そこでふと思い出した。90歳になる母は、あの時計台のある建物を「和光」とは呼ばず「服部」と呼ぶ。そして、必ず「PXだった場所」と付け加える。それから「MPが交通整理をしていた」とも。MPとは"Military Police"のこと。
母は埼玉県の浦和育ちだけど、神田の短大に通い、丸の内で数年OLをしていた。当時まだ財閥系の本社ビルは接収されていたので仮本社で働き、本館返還後は帝国ホテルでパーティがあったとも話す。
母は「東京の人」だった。少なくともそういう自覚を持っている。戦中から戦後にかけて縁故疎開していた静岡では「東京のいとこ」と呼ばれていたという。東京で学び働いたことは誇りでもあっただろう。いまも「周囲に東京の話をできる相手がいない」と嘆いている。
映像を見て、銀座の街を闊歩する遅れて来たモダン・ガールの青春時代に思いを馳せた。
さくいん:銀座、NHK(テレビ)、東京