飛行機の窓から見た翼

図書館で検索をしてグリーフケアについての本を2冊借りてきた。本書は自死遺族の支援に焦点を絞った本。対象は主に遺族を支援する側の人たち。たくさんの事例が挙げられているけど、事例を読んでいると辛くなるので、かなり飛ばして読んだ。

本書に各章を執筆している人には自死遺族が少なくない。本書は人間の「弱さ」を「キー概念」としてケアの概念を軸に自死について論じると「はしがき」にある。支援者は遺族を上から指導するのでなく、自らの「弱さ」を常に意識し、ときにはそれを晒け出して遺族に寄り添う、それが「ケア」へとつながる、と編著者たちは考えている。「弱さ」という概念の例として、ヘンリー・ナウエンパウロが参照されている。

私から見ると、自らが自死遺族であるにもかかわらず、支援者となっている人たちは十分に「強い」と思う。これは嫌味でも皮肉でもない。「はしがき」の言葉に従うなら、「弱さ」を熟知しているからこそ、苦境に立つ遺族を支援する「強さ」が得られるのだろう。

興味深く読んだのは「第4章 自死遺族にふりかかる困難と支援上の留意点」(大倉高志)と「第11章 キリスト教にみる自殺予防対策の可能性」(李善恵)。

第4章は「自死」という言葉で「自殺」を置き換えることに対し「建設的反論」を試みる。「自殺」を「自死」と言い換えることには5つの「負の側面」があるという。

  1. 1. 自殺の抑止効果が減じてしまう恐れ
  2. 2. 自殺を念慮し亡くなった故人の真の苦しみが見失われる恐れ
  3. 3. 「自分で選んで死んだ」という自死の自己責任論の再燃
  4. 4. 「自分を殺した」という解釈の残存
  5. 5. 遺族の真の苦しみが軽んじられる恐れ

5点の指摘に通底するのは、「言葉だけ変えても問題の本質は変わらない」という主張ではないか。私はそのように「反論」を理解した。「自死」を漢字の字義からとらえると「自然に死ぬ」となってしまい、意味が通じないという指摘も聞いたことがある。私自身は「殺」という文字が強すぎるので「自死」を用いているけれど、ここで指摘されている問題点はよくわかる。

私の姉も含めて、多くの事例は「熟慮したうえで自ら選んで自分を殺した」のではなく、「心身の調子が悪いときに平静でいれば思いつかないような取り返しのつかない選択をしてしまった」と私は考えている。偶然性に着目して「心の交通事故」という言葉を使ったこともある。最近では、この言葉は交通事故の遺族を傷つけてしまうかもしれないとも考えていて、いい言葉が見つかっていない。

当面は「自死」を使い続けるつもりではあるけれど、「言葉を変えるだけでは本質(故人と遺族への偏見)は変わらない」という主張は胸に刻んでおく。

第11章はキリスト教の教義から自死について考える。この章を読んで以前読んで腑に落ちなかった土井健司「自死の何が罪とされてきたか」という文章を思い出した。そして、土井の主張がわかってきた気がする。

キリスト教には「十戒」というその根幹に関わる教義があり、そこに「殺すな」と書いてある。ここを起点にするかぎり、自死をほかの、例えば病死や事故死のような死のあり方と同一視したり、「罪」以外の何かとみなすことはできないのだろう。だから視点は罪を犯させない、すなわち自死の予防に移っていく。そのため、自死の予防については盛んに議論される一方で、自死の解釈は棚上げされたままになっているように思える。第11章を読んで、そう感じた。

土井の議論もそうだった。自殺は罪である。しかし、故人は積極的に罪を犯したわけではない。周囲の状況が(心の病や過労やいじめが)故人を「殺すな」という教義を破るような行為をさせてしまった。だから、罪を犯した故人ではなく、罪を犯させた原因に注目して、状況の改善を促すべき。そういう論理だった。

論理としてはよくわかる。自死をさせない、しないですむ社会をつくることも大切だろう。でも、起きてしまったことはどうとらえればいいのか。遺族は故人は罪を犯さなければならない状況に追い込まれた、と考えなければならないのか。

人は皆、罪びとだから、故人も遺族も、そのほかの人も同様に罪を負っている。そういう解釈はありうるのだろうか。おそらく教義に従えば、故人はより重い罪を負っていると考えることになるのではないか。

信徒ではないし、なる予定もない私がその先を考える必要はないだろう。

自死した人や遺族への偏見はまだ根強い。日本社会では少数派であるキリスト教の教義を議論するよりも、「弱さ」を見せられる社会、「助けて」と気軽に言える社会、「故人は自死でなくなりました」と言える社会、そういう社会を実現する方策を議論することが喫緊の課題だろう。

言葉を変えることよりも、本質を変えていくこと。私の仕事は貢献できているだろうか。


さくいん:悲嘆自死遺族ヘンリー・ナウエンパウロ土井健司