友人から強く勧められたものの、悲しい物語ともどこかで聞いてしまったので、劇場では見なかった。Amazon Primeで配信が始まったので、先週の土曜日の午後に観た。
一言では感想が言えない作品だった。以下、見終えてからポツポツと思い浮かんだこと。
ありえたかもしれない未来は、やはりありえない現実。人生の選択をやり直すことはできない。
本作は、そうした選択を重ねていく人生のなかで、大切な仲間を失くした悲しみを描く。でも、悲しみは安易に癒されたり、解消されたりしない。まして悲しみを乗り越えることはできない。
私たちにできることは、悲しみとともに、悲しみを抱えて生きていくことだけ。
本作を生み出した人たちはそのことをよくわかっている。
タイトルにはいろいろな解釈がある。京本が見ていた藤野の背中。藤野が見出した京本の背中。終幕で描きつづける藤野の背中。そして、私が追いかけているあの人の背中。
私は過去を振り返るという意味にとらえた。
過去を見つめながら、生きていく。それは後ろ向きなことではない。過去を見つめ続けることが前を見つめる唯一の方法。そういう生き方もある。その生き方と無縁の人もいる。
藤野は過去を見つめつづけて生きていく人だろう。
「過去相に生きる」。そういう生き方を私は森有正から学んだ。
音楽もいい。とくにエンドロールで流れる主題歌"Light Song" (haruka nakamura & urara)がいい。あの事件で亡くなったクリエイターたちへ捧げる挽歌に聴こえる。早速購入して挽歌のプレイリストに入れた。
この作品は、『君の膵臓をたべたい』のように、ときどき見返す作品になるかもしれない。
さくいん:悲嘆、森有正、『君の膵臓をたべたい』
外食が続く珍しい週末だった。金曜日は有給休暇がまだるので午後休みにした。ランチは吉祥寺の3rd bar and grillでテキサスバーガー。ランチは吉祥寺の3rd bar& grillでテキサスバーガー。
チーズもベーコンも特別なソースもないけれど、パティが丸いハンバーグのように大きい。直球勝負のハンバーガー。
上大岡に移動してカラオケ。"The Christmas Song"や"O Holy Night"を歌った。夕方、母と落ち合い、夕飯に中華料理。紹興酒も呑んだ。夜、母に少しでも刺激を与えようと思いYouTubeで堺正章、小林旭、岡本敦郎、藤山一郎などを見せた。
土曜日。朝、母を連れて耳鼻科で聴力検査。補聴器を買った2年前から衰えはなし。調整はいらないと言われてホッとした。
天気がよいのでシーサイドラインで海を眺めながら新杉田へ。根岸線に乗り換え横浜へ。
そごう美術館でミュシャ展を見て、ランチは千房でお好み焼き。それから鉄火巻とブリの刺身を買って帰り夕飯にした。夜は大谷翔平の今年の活躍をまとめた番組を見た。
ダルビッシュ有との対決を見て、『ドカベン』の不知火と山田との対決を思い出した。勝負には勝ったが試合には負けた。不知火が率いる白新高校は明訓高校に一度も勝てなかった。パドレスとドジャースはどうなるか。大谷とダルビッシュの対決は来年も楽しみ。
日曜日。金沢八景駅の前にあるカフェでバジルのパスタを食べてから母と別れた。ビールを呑んだら、帰りの京急で眠ってしまった。
午後は社員寮を出て二人暮らしを始めた娘の部屋へ。彼氏はマラソン大会に出場するため留守。私たちの新婚時代よりもずっと便利な場所で、ずっと広い間取りだったので驚いた。「お試し同棲」はうまく行っているようなのでひとまず安心した。
娘に駅まで送ってもらい、夕飯は再びパスタ。青じそと海老のペペロンチーノ。帰宅するとちょうど大河ドラマ『光る君へ』が始まる時間だった。疲れたので、早く休んだ。
さくいん:野球、『ドカベン』
土曜日に横浜のそごう美術館でミュシャ展を見た。先日、府中市美術館では見た展覧会は有名なポスター以外に油彩画もあり「ふたつの世界」を知ることができた。
こちらの展覧会では若い頃の習作などがあり、その才能の成長ぶりを観察できた。
目を引いたのは、初恋の相手、ユリンカの頭文字を装飾した「Jのデザイン画」。草花をあしらった装飾には後にポスターで開花する才能の片鱗がうかがえる。
ユリンカは20代半ばで病気で亡くなってしまったという。彼女を失ったことはミュシャのその後の画業にどんな影響を与えただろうか。ふと、そんなことを考えた。
今回の展覧会でも、やはり、タイポグラフィーと配色に心を奪われた。同系色を少しずつ色調を変えて文字、人物、装飾で使い分ける技術が素晴らしい。
さくいん:ミュシャ、初恋
詩人、谷川俊太郎が亡くなった。
私が谷川俊太郎の詩に出会ったのは、小学三年生のとき。担任教員が『ことばあそびうた』(福音館書店、1973)をクラス全員に暗唱させた。そのときは、その作品しか知らず、同じように暗唱するまで読んだ八木重吉や山村暮鳥のほうが好きだった。
詩集を読んだのは中学生の頃だろうか。当時、日記の隅に詩のようなものを書いていた。
大学生のとき、近くの図書館で講演会を聴いた。当時最新作だった『はだか』にサインをもらった。そのときはもう詩は書いていなかった。
子どもが生まれてから、『ことばあそびうた』に加えて、彼が書いたり訳したりした絵本を子どもたちにたくさん読み聞かせた。
全部を覚えている詩はないものの、記憶に残っている言葉がいくつかある。
かわいらしい郊外電車の沿線では
春以外は立入禁止である(「春」)
<ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる>(「祈り」)
絵本で忘れ難いのは『けんはへっちゃら』(あかね書房、1976)。これは何度も母に読んでもらった。
訳書では、『悲しい本』(マイケル・ローゼン原作)。この絵本は、私がそれまで自分自身にさえ隠していた悲しみ(グリーフ)に対して正面から向き合うきっかけになった。
谷川俊太郎は感性豊かな人だった。多くの人が称賛しているように類まれな言葉の使い手だった。
そんな優れた詩人が、『かないくん』や『しんでくれた』のような、読後に大きな疑問符が残る駄作を書いてしまったのはなぜだろう。
宣伝文屋と関わったからではないか、と私は邪推している。優れていた感性が安っぽい感情商売に吸い取られてしまったような気がする。
さくいん:谷川俊太郎、八木重吉、マイケル・ローゼン、悲しみ(グリーフ)
先日、会社で従業員満足度調査があった。待遇に満足しているか、経営陣の考えは伝わっているか、働きやすい職場か、など、オンラインのアンケートで答える調査。
待遇に不満はないと言えば嘘になるけど、いまの働きでいま以上の報酬を願うのは贅沢ということもわかっているつもり。待遇には満足、と回答した。
会社が注力すべき点、改善すべき点という問いには"inclusion"と答えた。「障害者雇用」の契約社員として、強い疎外感がある。定着支援の面談もないし、人事のサポートも何もない。
月曜日にオンラインで部内会議があった。アンケート調査の結果を踏まえて、部として何に注力していくかが議題だった。
アンケートでは"inclusion"の必要性に多く加点したものの、会議ではそれを私の口からは言えなかった。部で注力することは「プロセスの明確化」に決まった。
"Inclusion"が改善点といっても、会社に何をして欲しいのか、具体的な意見はない。
考えようによっては、変に気を遣われるよりも、暗黙のうちに在宅勤務で放置されている、いまのような宙ぶらりんの状態がかえって居心地がいいかもしれない。
さくいん:労働
先日、娘が新しく借りた部屋を見て、自分が若い頃がどうだったか、思い出してみた。
結婚したての頃は、妻の両親がモスクワに住んでいたので、妻の実家で暮らしていた。その頃、新卒で入社した会社を1年半で辞めて、大学院の入試のために浪人をしていた。浪人など無謀なことができたのは家賃が必要なかったから。
大学院修士課程を終えたあと、進学も留学もできなかった。仕方がないので職を探しはじめた。同じ頃、妻の両親が帰国したので、私たちは住まいを探さなければならなくなった。
そして見つけたのが、小金井公園わきの小さなアパート。借りたときには、まだどこで働くことになるのか、わからなかった。それが1996年の5月頃。いくら稼げるようになるのかもわからなかったから、安い家賃の部屋にした。
新しい仕事が見つかったのは6月で7月から働きだした。場所は新宿駅西口。偶然、通勤に便利な場所だった。
娘が借りている部屋は、私が最初に借りた部屋よりもずっと家賃が高い。二人とも正社員でもう何年も働いているのだから、私とは事情が違う。娘の部屋の広いリビングを見渡して、「私たちは波乱万丈だったから」と妻がつぶやいた。確かに。貯金もないのに大学院に入り直そうとしたり、仕事が決まっていないのに部屋を借りたり。無謀なことをしていた。
就活の最後、2件の内定をもらっていた。一つは世界的な物流会社の輸出業務。もう一つは電子部品の営業職。いろいろ相談していた人材コンサルタントが、「若いうちは営業職を経験するといい」と助言してくれたので後者を選んだ。それはある意味、正解だった。
なぜなら、その後、ハイテク製品の営業職としてステップアップする転職を繰り返すことができたから。業務部門にいたらキャリアアップは難しかっただろう。
ハイテク産業は"dog year"と呼ばれる。すべての出来事が、ほかの業界のよりずっと速く進むから。いま、まったく違う業界にいるのでよくわかる。
私のような軟弱者がよくあの業界で16年も生き残れたと思う。最後は身も心もボロボロになってしまったのも無理はない。ときどき、そんな風に自分を慰めている。
昨日は用事を頼まれて出社した。朝はオフィスから富士山が見えて、帰りは試運転中の中央線グリーン車の2階に座れて綺麗な薄暮が見えたので、いい一日だった。
中央線グリーン車はとても乗り心地がいい。ほかの車両に比べて揺れも少ない気がする。
立川より先へ帰る人は余計に払ってでも乗りたくなるのではないか。吉祥寺や三鷹までで利用するのは贅沢すぎると言うものだろう。
これまで2回、下の席に座っていて、昨日初めて2階に座った。視線が少し高くなっただけでもホームや線路がよく見える。何だか自分が偉くなった気までしてくるから怖い。
私が担当している業務は月初に集中している。前月の売上やら経費やらのデータをサーバーからダウンロードして、編集・加工のうえ、レポートにまとめる仕事が多い。出社してもすることがない日もあるけど、昨日はそれなりに忙しく16時過ぎまで勤務した。
妻も出勤日だったので、吉祥寺で落ち合い、外で夕食を食べることにした。
行ったことのないラーメン屋に挑戦してみたところ、ちょっと独自すぎて、私たちの口には合わなかった。次回は、いつも行っている店に戻る。
新店開拓はむずかしい。ネットの口コミだけではわからない。実際に行ってみなければ、おいしいかどうかもわからない。
ところでMac OSの写真に余計なものを削除するいわゆる「消しゴムマジック」(クリーンアップ)機能が追加された。車窓に映り込んだ社内の照明を上手に消すことができている。
映画がとてもよかったので、原作を買って読んだ。ふだん漫画はほとんど読まない。漫画を読むのは『スキップとローファー』以来。
力強いタッチに圧倒されながら読んだ。
突然に、思いもよらない形で生命が奪われる場面で、映画『君の膵臓をたべたい』の同じ場面を、そして見ていないはずの姉が亡くなった場面を思い出して胸が苦しくなった。
映画を見たときもそうだった。『君の膵臓をたべたい』を観たときに激しく動揺したのは、その場面があるからだった。いまになってようやくわかった。
見ていないはずの姉の死の瞬間を、映画や漫画の一場面に誘発されて、私は「思い出して」しまった。そんなフラッシュバックもあるのかもしれない。
身近な大切な人を失ったとき、自分のせいと思うことはよくある。その呪縛を解くのは、とても難しい。かといって、それが運命だったと自分を納得させることも容易ではない。
「なぜ、なぜ、なぜ」。その繰り返し。私も長いあいだ、「なぜ」に囚われていた。
『親と死別した子どもたちへ』を読んで、初めてその呪縛から解放された。
「その人がいなくなって、自分はどう思ったか、どう変わったか」「その人がいない世界でどう生きていくか」。そういう問いかけを自分に対してできるようになった。
藤野はその境地に立っているだろうか。最後の場面の背中越しに彼女の表情は見えない。ただ、彼女は描きつづけることを選んだことがわかる。悲しみが続いていくことも暗示されている。
簡単に悲しみが解消されない点でも、この作品は優れている。書き手は物語のなかで完結させようとしがちだから。
さくいん:、『君の膵臓をたべたい』、悲しみ(グリーフ)
年内最後の診察。罵倒メールで崩れたり、介護うつになったり、今年は回復よりも逆戻りした感じと伝えたところ、S先生は「パンチはもらったけどKOはされなかったことが大きな進歩。回復力がついた証拠」と励ましてくれた。
今年も先生にお世話になりっぱなし。
診察のあとは足を延ばして井の頭公園へ。銀杏はほとんど落葉して地面が黄色くなっているけど、カエデはまだ見頃。教会ではまだ銀杏がきれいだった。
紅葉狩りのあとは今年最後の診察バーガー。初心に帰り、ヴィレッジ・ヴァンガード・ダイナーへ。ビール2杯にダブルチーズバーガーにオニオンリング。豪華なランチを楽しんだ。
VVDはハンバーガー店めぐりをはじめるきっかけになった店。味の点でも、この店が私のなかで基準になっている。パティもチーズもやっぱりおいしい。
吉祥寺から三鷹まで歩く途中、店内を歩くだけでも楽しい、在庫豊富な酒屋でドライベルモットとスタフトオリーブを買った。ベルモッットがなくて、しばらくジンをロックで呑んでいた。これで来年はたっぷりマティーニが楽しめる。
駅に着いたらカラオケ。ひとり忘年会の始まり。
さくいん:S先生、マティーニ
今年は家族での食事会以外に忘年会がない。会社の会合はいつも断るし、ほかにお誘いもなく、自分からも誘っていない。このところ、人に会うこと自体、おっくうになっている。
先週の土曜日。妻が実家の様子を見に行っていたので夜は一人になった。一人になると、いい加減な暮らしになるのが私の悪い癖。それを戒めつつも、せっかく一人の時間ができたので、ひとり忘年会を開催した。
一次会はカラオケ。多勢の忘年会とは反対に呑む前に歌う。この日は、クリスマスソングをたくさん歌った。歌ったのは、"O Holy Night," "Hark! Herald Angel Sing," "Someday at Christmas," "Wonderful Christmas"、「クリスマス・イブ」、「白い恋人たち」など。
夜はアジの刺身、タラと白菜を入れた湯豆腐。ビール、安物のスパークリングワイン、〆にジンと盛大に呑んだ。酒は呑んでも食事は肝臓にやさしい食事を心がけるようになり、一人のときについ手が出るジャンクフードは避けた。
グラスを片手に気軽に見られる映像はないか、レコーダーのなかを探しまわって最終的に『きのう何食べた?』を見返した。このドラマは妻がよしながふみのファンで見出したもの。心温まる話で一人で見ていてもさびしい気持ちにならないのがいい。
一番好きな場面は、史朗さんが大家さんに「一緒に住んでいるのはパートナーですよね」と直球で訊かれたとき、悩んだ末に「はい」と素直に答えるところ。何話も見たけど、この日その場面が見つけられなかった。
忘年会と銘打った時間だったので、今年、印象に残った本、美術、映像、音楽も選んだ。来週から発表する予定。
さくいん:ひとり、よしながふみ
日曜日。一人で武蔵関公園と武蔵野中央公園をハシゴして歩いた。
武蔵関公園のシンボル的なメタセコイアはまだ落葉していない。この木の葉がすべて落ちて裸になると真冬を感じる。今年は真冬の到来はまだ先になりそう。
公園の池に野鳥がいた。多勢の人が長い望遠レンズを鳥に向けていた。私もスマホを取り出したけど、カメラ機能が向上したとはいえ、iPhone 16ではとらえられなかった。
中央公園ではまだ銀杏並木がきれいだった。原っぱではキャッチボールをする親子。私も息子とよくここでキャッチボールをした。なつかしい景色。
1万歩以上歩きまわって疲れたのでコンビニでシュークリームを買い、帰宅してコーヒーを淹れて食べた。シュークリームが前よりも小さくなっている気がした。
"SUNDAY PARK"はさだまさしのアルバム『私花集』(1978)に収録されている曲のタイトル。
晴れた午後には/こんな密かな/悲しみ方があってもいいだろう
そんな気分で初冬の公園を歩いてまわった。
さくいん:さだまさし、悲しみ
日曜日。外をたくさん歩いて帰ってからくたびれて昼寝したいところを我慢して、大掃除の手始めに窓を拭いて窓のサン(桟)を掃除した。
それから、屋根裏から引っ張り出して、クリスマス人形の飾りつけをした。ツリーはもう出さないので、クリスマスの飾りはこれだけ。自分で買ったものではない。ずっと前に親戚で信徒の人にもらった。
イエス生誕の場面を表現した人形やジオラマをプレゼビオということを最近知った。
35年前、年末にブリュッセルに滞在したときのこと。観光名所のグランプラスに実物大の馬小屋が置かれていて、マリアやヨセフ、羊飼いの人形に混じって柵のなかに生きた羊がいたのでとても驚いたことを覚えている。
子どもたちが幼稚園で聖誕劇を演じたことも、この季節になると毎年思い出す。
さくいん:ブリュッセル
あるツィートに引用してコメントした言葉。
思索を深めることと日常の些事をこなすことには埋めがたい溝がある。
「人生とはそんなもの」と軽口を叩いて難じることは容易い。
それでもなお思索を深めることでしか溝は埋まらないと信じて、どこまでも思索を深める日常の姿勢を持つ人に畏怖の念を覚える。
我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深く掴むことに依って最も深い哲学が生れるのである。(「歴史的身体」、1937、『西田幾多郎講演集』、岩波文庫、2020)
西田幾多郎はそう言った。正直に言えば、この言葉を発した講演録を読んでみたけれど、よくはわからなかった。ただ、この言葉だけは西田幾多郎記念哲学館で発見してから、ずっと心に留めている。
森有正も「思想は茶碗の洗い方一つにもあらわれる」とどこかに書いていて、日常のなかで思索を深めることを強調していた。
私はといえば、自堕落な暮らしを送り、思索もいっこうに深まってはいない。ただ、営業職時代のように仕事に追われる生活ではないし、職業と理想の暮らしのあいだの葛藤もない。
非正規雇用の窓際族になって、時間的、また精神的な余裕だけは手に入れた。そこから先が見えない。
どう生きていけばいいのか。何を考え、どう行動すればいいのか。時間だけがいたずらに過ぎていく。来年は真剣に思索を深める年にしなければならない。
さくいん:日常、西田幾多郎、森有正
横浜そごうのポイントが貯まっていた。8,000円分が年末で期限になるので、妻と折半して何か買うことにした。
私が選んだのはワイヤレスイヤホン。そごうに入っているLoftで購入した。
失くすのが怖くてずっと持っていなかった。使ってみるとやはり便利。
失くしてもショックを受けないように機能も抑えた廉価モデルを買った。普段使いはこれで十分。
今月はクリスマスソング月間。なかでも繰り返して聴いているのは、Take6の"Hark! The Hearld Angels Sing"。Twitter(現X)を見ると2年前にこの曲が好きになった。そのことを投稿したあとここに書いたつもりだったけど、検索してもどこにもない。
なので、この曲が好きということを今年しっかり書き残しておく。この曲が収録されているアルバム"He Is Christmas"もいい。温かい歌声のア・カペラは寒い季節によく似合う。
加湿空気清浄機とハンディ掃除機と合わせて今年のベストバイ。
書店でフィルムに包まれた画集が気になり、図書館で借りてきた。
これはエグい。「裏の美術史」という副題は正しい。醜さ奇妙な組み合わせ、常軌を逸したテーマなど、ふつうの美術館では見ることのない作品が次々に紹介される。
日本からは、死体が腐乱する過程を描いた仏教絵図「九相図」とさまざまな装飾を施した火消半纏が掲載されている。写実的な九相図はちょっと衝撃的。
発表当時はスキャンダルにまみれても、今では一級の美術品として有名美術館に展示されている作品もある。アルチンボルトの寄せ集め肖像画やマネの「草上の昼食」、サージェントの「マダムXの肖像」などがその例。
ヘンリー・ダーガーやフェルナン・シュヴァルなどのアウトサイダー・アーティストも掲載されている。
美の基準は時代や地域によって異なる。猥褻の基準も同様。
もっとグロテスクだったり、もっと猥褻な作品も、探せばいくらでもあるだろう。本書はあくまで美術作品として鑑賞できる範囲の作品を取り上げている。
私は十分「裏」を味わった気がするけど、物足りない読者もいるかもしれない。
さくいん:ダーガー、シュヴァル
先週の金曜日。用事を頼まれて出社した。今月、2週連続で2度目。月中に出すレポートがあったので午前中は忙しかった。それが終わると暇になったので、午後を休みにして会社を出た。何をするか考えて、テレビで知ったノートルダム大聖堂展へ行った。科学未来館へ行くのは初めて。
とてもいい展覧会だった。展示されている写真が大きく、大聖堂の大きさを感じることができた。そしてタブレットを使ったVRやARの展示がとてもよかった。
大聖堂の建築過程、今回の火災の惨状、そして復旧のプロセス。それらを映像と解説文で詳しく知ることができた。展示を見たあとで今回の展示を制作した人たちのインタビューを見た。映像では細かいところまで時代考証されていたらしい。そういう苦労話を聞くことができた。これを見てから展示を見る順路にした方がよかったように思う。
個人的にはステンドグラスの拡大写真に感激した。高いところにあるばら窓は、現地でも間近で見ることはできないだろうから、貴重な体験になった。
パリにはもう一度行きたい。そういう思いを新たにした。この夢をモチベーションにしてあと9年間、頑張る。
さくいん:パリ
2年前は一人で来た報道写真展に母を連れて行った。
写真は時系列で並べてある。今年は災害や戦争の多い年だったことが伝わってくる。
圧倒されたのはスポーツの写真。プロの写真家は、高速シャッターで連写してるのだろう。それにしても、「この一瞬」をよくとらえている。会場には大砲のような望遠レンズをつけたプロ仕様のカメラも展示されていた。機材の違いも当然あるだろう。
上の写真は、いずれも展示されていたプロの写真を私が撮影したもの。一人暮らしで単調な毎日を送っている母も、少しは気分転換になったみたい。
写真展のあと新日本橋から横須賀線で逗子まで乗った。いつものレストラン、ラ・ベルデで母と忘年会。この店を気に入っているので母はご機嫌。この日もよく食べよく呑んだ。佐渡の焼き牡蠣がおいしかった。
この日は、クアトロ・フロマッジオのピザをテイクアウトでもらい、帰宅してワインを呑み直しながら食べた。少々、食べ過ぎ、呑み過ぎの忘年会だった。
今回の帰省中、実家の庭で千両を見つけた。正月も近い。
さくいん:逗子
日曜日。金沢八景でラーメンを食べてから母と別れ、逗子を経由して鎌倉へ出た。
相変わらず江ノ電は観光客で混んでいる。稲村ヶ崎で下車して海岸へ出た。確か20年ほど前に稲村ヶ崎から七里ヶ浜まで砂浜を歩いた。いま砂浜はほとんどなくなっている。こういう変化も温室効果ガスの影響だろうか。
仕方がないので、七里ヶ浜駅まで歩道を歩いた。空気が冷たくて澄んでいたので、江ノ島と富士山がよく見えた。冬の海は景色がよく見えるところがいい。
20年前に来たときは、とても感傷的な気持ちだった。この日はそんなことはなくて、落ち着いて冬の海の景色を楽しんだ。あの頃に比べると、いろいろな点で心の整理ができてきたように思う。
いつもなら鎌倉高校前駅で降りて写真を撮るところ、荷物が重かったので、江ノ島駅までそのまま乗車した。それから片瀬江ノ島駅まで歩き、小田急線で帰京した。
さくいん:鎌倉、江ノ島
正確に数えたわけではないけど、今年はあまり本を読まなかったような気がする。
2週に一度図書館へ行き、たくさん借りては来ても、読まずに返すことが少なくなかった。
本を読まなかった気がするのは長い小説を読まなかったからかもしれない。数が少ない分、読んだ本はどれも記憶に残っている。
吉田満、丸山眞男、中井久夫。いずれも「昭和」の人と言って差し支えないだろう。戦前に教育、とりわけ旧制中学や旧制高校を経験した人の伝記を読むと戦後の教育を受けた私とはまったく違う教養を持っているように思われる。
それは一言では言い表せない。戦後教育と比べてよかったとか悪かったとかも、簡単には言えない。とにかく、いまでは完全に失われていて二度と復興することのない文化があったことは間違いない。
読む本も「昭和」の人が書いたり、「昭和」について書いた本が多い。その理由は、両親がヒトケタ世代ということもあるし、姉が生きていたのが「昭和」だったということもある。時代遅れと言われても、まだ「昭和」にこだわっていくのだろう。
今年は旧約聖書に取り組んだ。入門書も読んだし、説教もYouTubeで聞いた。ユダヤ教はイスラエルとパレスチナの対立をどう考えているか、ずっと疑問に思っていた。『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』はとても有益だった。
もちろん、ひととおり読んだからといって旧約聖書を理解できたとは言うつもりはない。キリスト教に近づいているわけでもない。今はただ興味があって読んでいるに過ぎない。
さくいん:吉田満、丸山眞男、中井久夫、教養、村澤和多里
今週で、いまの会社での勤続年数が8年になった。入社日は2016年12月16日。
モーレツに働き、5年足らずのあいだにさまざまな出来事があった前職と違い、いまの会社では昇給も昇進も配置転換もスキルアップもないまま時間だけが過ぎている。出社したときの疎外感と孤独感は8年前から変わらない。
何も起きなくても時間だけは過ぎていくという真実を痛感する。このまま定年まで何事もないままあと9年続いてほしい。
最初の上長がすぐに辞めたあとで代わった上長もずっと変わっていない。おだやかで寛大な性格の上長のおかげで、だいぶ助けられている。厳しい人に変わったらいろいろ困ることが出てくるだろう。
来月からは上長の上も、さらにその上も代わる。いまはまったく出社しないでいることも黙認されているけど、それもどうなるかわからない。出社が強制されたら週2回でも辛い。
そんなことを今から心配しても仕方がない。来年のことは来年になってから悩む。
さくいん:労働、孤独
小説や専門書をたくさん読まなかったかわりに図鑑はたくさん借りてきて眺めた。5冊選ぶ前に候補だけでも10冊あり、借りて読んだ本はさらに多い。
大型本を借りられれることは、私にとっては、図書館の最大の魅力。大きな本は私には買えないし、置く場所もない。高額な図鑑を何冊でも無料で読めるのだから、図書館はかなりの経済的効果がある。利用しないのはもったいないし、図書館が充実していない自治体に住んでいる人は気の毒に思う。
NHKの大河ドラマ『光る君へ』が終わった。
『鎌倉殿の13人』以来、大河ドラマを一年通して見届けた。面白かった。韓ドラも民放のドラマもほとんど見ないので王朝ロマンスというジャンルじたいが新鮮だった。
物語は道長とまひろ(紫式部)との果たされない想いを軸に進んだ。その本筋にあざなうように宮廷内の錯綜する人間ドラマやあまり知られていなかった史実も盛り込んでいたので、物語に広がりと深みがあった。
映像リテラシーが低いので、ドラマを見ても台詞を聴いて筋を追うのが精一杯。音楽との取り合わせや小道具の意味まで汲み取れない。まして『源氏物語』本編とドラマの一場面が掛け合わされていることなど、まったくわからなかった。
その点、今回はTwitter(現X)片手に見たので助けになった。専門家や王朝物の愛好家の解説を読みながら見て初めて意味がわかった場面も少なくない。放映している最中から解説やイラストを投稿する人もいて、その素早さに驚きながらも、大いに楽しんだ。
これもSNSの活用法であり、かつ、オールドメディアの楽しみ方も増えたように思う。
初回が始まる前に楽しみにしていたのは、書くことが、紫式部にとってどんな意味があったのか、何が彼女に書く原動力になったのか、そういうことがどんな風に描かれるかだった。
この点に関して、本作は深く踏み込んでいないように感じた。定子を賛美した『枕草子』を超えて彰子を輝かせる物語が欲しいという道長の依頼によって書かれたように描かれていた。彼女の個人的な動機づけ、例えば、道長への秘めた想いを封じ込めた、というところまでは描かれていなかった。あるいは、それが核心だったのかもしれないけれど、私には読みとれなかった。
『歴史探偵』(NHK)でも、『源氏物語』を書きはじめた動機については、これまで夫との死別の悲しみを癒すためという説が一般的だったけど、大量の紙を準備できたことや執筆の時期などから推測すると道長依頼説が有力と解説されていた。
作者の真意はどうであれ、『源氏物語』は内裏内政治に利用されたことは間違いなさそう。作品が、それ自体として正当に評価されないということが作者に複雑な思いを残したように見えた。紫式部には内的な動機づけがあったと私は思いたい。
強い個人的な動機があって書かれた作品としては、『源氏物語』よりも前に書かれた、娘を失った親の悲しみを仮名文で記した『土佐日記』(紀貫之)が先駆者かもしれない。
さくいん:NHK(テレビ)、紫式部、悲しみ、紀貫之
年初に「行きたい」と書いた展覧会のうち、実際に行ったのは二つ。「マティス 自由なフォルム」、「中尊寺金色堂」、「モネ 睡蓮のとき」は行けなかった。大型企画の展覧会は行きたい気持ちはあっても、混雑を恐れてつい行きそびれてしまう。
大型企画を避けた代わりに「行きつけ」と呼びたい美術館にはよく行った。混雑する大型企画とは一味違い、各館の独自色が出ている。ランキングには選出しなかったけれど、東洋文庫ミュージアムとそごう美術館には複数回行っている。
出光美術館は建替えで休館となる。今年は二度訪れた。入れ替わりで三菱一号館が再開している。来年は足繁く通いたい。
あらためて思うのは、府中市美術館の常設展の素晴らしさ。好きな画家の違う作品が毎回展示されている。しばらく働いていたこともあり街にも懐かしさを感じて、府中市美術館へ行くと心地よい時間を過ごせる。
さくいん:東洋文庫ミュージアム、マイケル・ケンナ、横須賀美術館、府中市美術館、出光美術館
日曜日。毎年恒例のコンサート。浜離宮朝日ホールできりく・ハンドベルアンサンブル。
コンサートの前に母を連れて銀座を歩いた。伊東屋で母は手帳。私は手書き用のメモ帳を買った。教文館でクリスマス・マーケットも見た。モンスターが時計台にいたずらしようとしている和光のディスプレイも鑑賞した。
それから三笠会館で妻と合流してランチ。地下鉄で築地市場まで移動してホールに着いた。
今年はクリスマスらしいプログラム。
クリスマスの定番曲から、チャールダーシュのような高速超絶技巧曲や摩訶不思議な現代曲まで、幅広いレパートリーを披露した。
30年くらい、ハンドベルを聴き続けている。毎年、新曲を演奏し新技巧も見せてくれる。進化し続けていることに感嘆しないではいられない。
最小構成は4人、最大で9人。楽器もベル以外の打楽器も使っていた。
"O Holy Night"、アンコールの"Silent Night"を聴いて年の瀬を感じた。
コンサートのあとは築地まで歩いて寿司を食べ、タクシーで日比谷へ移動。仲通りのイルミネーションを見た。ゆっくり丸の内まで歩くつもりだったけど、とても寒かったので散策は有楽町までにして電車に乗って帰宅した。
さくいん:大坪泰子(きりく・ハンドベルアンサンブル)
しばらく前のこと。実家でテレビをザッピングしていた時、偶然TVK(テレビ神奈川)でキリスト教の番組「ライフライン」を見た。その番組のなかで、クリスマスにちなむ聖書の一節としてイザヤ書、第9章第6節が紹介されていた。
自宅に帰ってから、日本語とともに英語版(Good News Version)で聖書を読みなおしてみた。
A child is born to us!
A son is given to us!
And he will be our ruler.
He will be called, “Wonderful Counselor,”
“Mighty God,” “Eternal Father,”
“Prince of Peace.”
His royal power will continue to grow;
his kingdom will always be at peace.
He will rule as King David's successor,
basing his power on right and justice,
from now until the end of time.
The Lord Almighty is determined to do all this.
この一節を読んで、ジャズの曲、A Child Is Born"(Thad Jones作曲)を思い出した。
そういうわけで今年はこの季節、"A Child Is Born"をよく聴いている。歌入りは"Tonny Bennetがいい。ピアノならBill EvansとOscar Peterson。ギターでは両手弾きのStanley Jordan。
番組の最後に、協力している教会一覧が表示されて、そのなかに日本ホーリネス横浜教会の名前があった。三ツ沢公園の近くに住んでいた小学一年生の頃、この教会の日曜学校に通っていたことを思い出して不思議な縁を感じた。
昨夜、近所の教会へ行ってみた。ミサはすでに終わっていたので、誰もいない堂内の祭壇前で手を合わせた。
さくいん:スタンリー・ジョーダン
今年は、一人暮らしの母の退屈しのぎにいいと思って映画館へ何度も足を運んだ。わざと重い作品を選ばなかったこともあり、印象に残る作品は少ない。代わりに、テレビドラマで印象に残る作品が多かった。
NHKの朝ドラと大河ドラマの両方を欠かさず見たのは初めてかもしれない。BSのドラマ『舟を編む』もよかった。原作も映画も、ドラマもいい。何ともすごい作品。
NHK以外でも『不適切にもほどがある』(TBS)は楽しく見た。
さくいん:NHKテレビ
今年は昨日で仕事納めにした。今月は3回出社した。
3回目、最後に少し頭を使った。スプレッドシートでの入力ミスが多いので、防止のために関数を使った自動転記を考えた。
使い慣れているVLOOKUPに加えHLOOKUPやXLOOKUPなど、これまで使ったことのない関数も活用した。結果、最小限の入力であとのセルは自動転記される仕組みができた。
今年はこの入力ミスでヒドい目にあった。
これで来年はミスはほぼなくなるだろう。最初からこうしておけばよかった。
昨日、会社では事業部の大きな忘年会があったらしい。開催地が工場のある遠隔地なので今回も欠席した。
今日は午後に母の頭部CTスキャンに付き添い。転んだときに脳内にできた血のかたまりは小さくなっていたので、一安心。
今年はライブの音楽をよく聴いた。ドームで、ホールで、そしてライブハウスで。
ライブハウス、ケネディハウス銀座へは8回行った。こんなに頻繁に行ったことは今までにない。まだ油断はできないとはいえ、世間的にはコロナ禍が過ぎてライブハウスにも客足が戻ってきた感じがある。長年追いかけてきた岡部ともみの歌声が聴けなくなるのは寂しい。近い将来、復活することを願っている。
記憶に焼きついているのは、初めて聴きに行ったクラシックギターのコンサート。これはよかった。あの、長くて難曲の「シャコンヌ」を生演奏で聴くのは、こちらもずっと緊張して固唾を飲んで聴いていた。
岡部ともみの歌声は当分聴けない。充電して再会できる日を楽しみにしている。
今年買った音楽はCreepy Nuts「二度寝」とharuka nakamura & urara「Light song」だけ。図書館でもCDはほとんど借りなかった。
さくいん:ビリー・ジョエル、バッハ、ケネディハウス銀座
今年、忘年会は家族とだけ。誰にも誘われなかったし、誰も誘わなかった。最近は、外で人に会うことが億劫になっている。こういう時期もある。人に会いたくなるときもまた来る。
今日は年内最後の散髪のあと、風呂場の掃除をした。窓と床は定期的にしている。
夜は家族で忘年会。息子が予約してくれた店で初めての火鍋。
食べ方を間違えたようで最初に辛いスープを飲んでしまい、そのあと、何を食べても辛くてつらかった。ひたすらビールで口の中を冷やしていて刀削麺も食べられなかった。
息子も娘も公私ともに充実していて安心した。
さくいん:HOME(家族)
今年を振り返る
去年と同じように一年を振り返る。4つの質問を自分に問いかける。
自問するポイントは次の4つ。
- 1. 褒めるべきことは何か?
- 2. どんなことに驚いたか?
- 3. 一年を象徴する感情・体験は何だったか?
- 4. 「羨ましい」と思った人は誰か?
私の回答
- 1. 心が折れそうになったことが何度かあったけど、何とか持ちこたえた
- 2. 母の認知症進行、友人を装って私を雑に扱う人の存在
- 3. 平穏、そのなかに忍び寄るさまざまな不安
- 4. 強い張り合いを持って暮らしている人
今年は良くも悪くも大きな出来事はなく、静かな一年だった。
ただ、振り返ると「何となく」「ぼんやり」「何もせずに」過ごしている時間が長かった。「低空安定飛行」という年初に立てた目標は達成できたものの、一度も浮上することなく、張り合いのない一年だった。
今年の10大ニュース
今年は家族の関して大きな動きがあった。
娘は社員寮を出て新しい暮らしを始めた。息子はビリー・ジョエルを聴きにLAまで飛び、MLBのドジャース対パドレスも観戦した。
子どもが巣立ったので、二人で旅行した。
- 家族4人でビリー・ジョエルのコンサーへ行った
- 母が認知症と診断された
- 娘がお試し同棲を始めた
- 母も連れて5人で下田へ旅行した
- 妻と二人で湯河原へ旅行した
- 高校の同級生と会津を旅行した
- iPhoneを16に買い替えた
- 自室用に空気清浄機と小型掃除機を買った
- 何十年ぶりかでギターを弾いた
- 紙の本が2冊売れ、電子版は9冊相当が読まれた
さくいん:ビリー・ジョエル、Apple